店で買い物をしていた時、突然の怒号で瞬間、心身が凍りついた。
買い物をしていた男が店員を怒鳴りつけたのだ。
目を移すと、青年が自分の父親ほどの初老の店員を激しい口調で罵倒している。
後にトラブルの原因を居合わせた人に聞いたが、それほど怒るようなことでもないという。
ちょっとした、互いの勘違いではなかろうかということだ。
たとえ理由が何にしろ、相手の人格を無視したような青年のあの言い方は許されない。
自分の息子のような年齢の青年から、不条理な理由で罵倒された初老の店員には
「惻隠の心」が生じるのを禁じ得ない。
周りの直接関係ない人達も、この青年の行動には強い不快感を持ったのではなかろうか。
そして、一番自分の評価を下げてしまったのはこの怒った青年であろう。
「未熟者・ヤッシャキリ」の烙印を傍にいた人達に押されてしまったに違いない。
この青年は若いだけに、今回の自分の不徳を早く自覚して
これからの人生に活かしてもらいたいものだと思う。
「怒り」の感情は動物が生きていくための必要不可欠なものであるだけに
コントロールするのが非常に難しく厄介なものだ。
これには生来の持って生まれた気質が大きく係っているであろうし、
また病気や年齢も関係するかもしれない。
しかし、この「怒り」の感情をコントロール出来るか否かで、
その人の価値と評価は決まると言っても過言ではない。
怒りを抑えることの出来る人は「大人(タイジン)」、出来ない人は「小人(ショウジン)」。
このことは、はなはだ分明である。
「怒り」の感情を抑えるには多くのことを学んで知識や教養を身につけ
自分の考えだけに囚われるのではなく相手の言うことも理解出来るようになり、
相手と折り合うしかないと思う。
古人は教える。
「怒りを遷さず:感情を露わにして人に八つ当たりするな」
「学びて固ならず:学問をせよ。そうすれば知識・教養が身につき
自分の考えだけに囚われることなく、
柔軟な考えを持って相手を理解することが出来るようになる。」
写真は篠笛演奏家、福井幹氏が自ら作製した篠笛。
すごく吹きやすく私の宝物。
福井氏の友人から頂いた。
福井氏はロシアの故ゴルバチョフ大統領が来日した時の歓迎会で篠笛を吹いた。
怒りの感情が起きた時には篠笛の音色を聴くにかぎる。

(久住山の仙人)