熊本城と大分市鶴﨑を結ぶ江戸時代の参勤交代道を豊後街道・肥後街道という。
正確には熊本県(肥後藩)にある部分を豊後街道といい、
大分県側にある部分を肥後街道という。
旧肥後藩主の細川公が参勤交代に使った道だ。
今、この道をウォーキングすることが秘かなブームになっている。
確かに、この道は昔の風情が感じられ、高原の部分も多いから魅力的なコースである。
この旧街道には道塚として石塔とエノキが使われている。
道塚として、大藩で財政豊だった肥後の領地は立派な石塔、
小藩で貧しかった豊後の領地のそれはエノキの大木が用いられているのは面白い。
写真は大分県竹田市久住町神馬地区に残る石塔。
ここは豊後内にあった肥後藩の飛び地。
江戸時代、力のあった肥後藩は大分県内に広大な飛び地を幾つか所有していた。
この石塔は私の生家の近くにあり極めて優美。
皆さんも一度ご覧あれ。
ただ、この所在場所を見つけるのは困難だ。
これとほとんど同じものが久住高原にある。
こちらも豊後街道の石塔。
場所は竹田市久住町の「南登山口」、「星降る館」、「マラソンコース」のすぐ傍。
「くじゅう花公園」を竹田市の方に500メートルほど下った路傍にある。
この石塔は昔から有名で、絵や写真の画題になっている。(久住山の仙人)
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