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長湯温泉に暮らし 久住山に遊ぶ

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05/18

Sun

2025

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07/13

Sun

2014

久住高原の唄全国大会

竹田市久住町で第17回「久住高原の唄全国大会」が開催されました。私は今年も出場。今回で10回目くらいです。
 今回も予想通り予選落ち。しかし、今回は予選落ちは落ちでも今までとは少し違いました。
予選を通過し決勝に進めるのは50位まで。私の過去の成績は10年ほど前の初出場の時の57位が最高の成績で、後は100位前後と箸にも棒にもかからないようなものでした。
したがって、今回も自分の成績の確認もせずに、大会の後に開かれた懇親会に出席しました。ところが懇親会の席で、唄の審査員の方から「後藤さん、今年は素晴らしかった。50番目の人とたった0.1点しか違わなかった。惜しかったね。そうとう勉強しましたね。」という思いもよらないお褒めの言葉を頂きました。0.1点違いということは私の成績は51番だったのでしょう。
 私が今回唄の勉強したか?。否、まったくしませんでした。ただ今回は、今までと違う点が幾つかありました。今までは、唄う2時間ほど前には会場に行き、昼食も食べず、着物を着て帯で腹を締め上げ、声がかすれるまで唄を何回も練習し、唄う順番がくるまでマイクの後方で30分間ほど待ち、本番は緊張で体をガチガチにして唄う。そして結果はいつも100番前後。
 今回は仕事が遅くなり、会場に着いたのが唄う10分ほど前。駐車場から受付まで全力疾走で走り、受付でペットボトルの水を飲ませてもらい、それから3分後にはもうマイクに立って唄いました。練習はもちろん出来ず、アガル暇もなく、「入賞するかも?」などという大それた考えも持つ暇もなく、どうにでもなれというヤケッパチの気持ちで唄いました。それが良かった。結果は予選落ちと言っても、決勝進出にあと0.1点足りなかっただけという好成績。
 来年からは、今年のように着物も着らず、練習もせず、「アワヨクバ入賞」などというイヤラシイ考えも持たずブッツケ本番でいこう。
                                   (久住山の仙人)

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07/12

Sat

2014

イモリ(アカハラ)

長湯、久住には台風の影響は全くありませんでした。一年前、当地、竹田市は豪雨で甚大な被害が出ました。特に農家に被害が多かったのには心が痛みました。今回は何事もなく有難いことです。
 写真はイモリです。腹が赤いのでアカハラともよばれています。毒を持っています。
昔は水たまりにグジャグジャいましたが、今は滅多に見ません。
 今日の午後は久住町で「久住高原の唄全国大会」があります。私も出場します。もう10回位出ています。常連なので観客席から小さな失笑が沸きます。「この男、また性懲りもなく出て」という感じで。でも地元の者として、私は参加することに意義があるのです。(久住山の仙人)

07/11

Fri

2014

新しい一ページ

今まではデジカメで撮影した写真を掲載していましたが、今回はアイパッドで撮影した写真を掲載します。なかなか上手く出来ずに苦労しました。
 両方とも鹿の角。左は猟師さんがくれた物。右は数年前、私が木山内山登山の際に拾った物。
同じニホンシカの角でも大きさが随分違うでしょう。実は大分県の南部(佐伯、津久見、臼杵など)の鹿の角は小さいのです。反対に北部(久住、湯布院、日田など)の鹿の角は大きいです。
狭い大分県内でこれだけ大きさが違うとは不思議です。
 明日は「久住高原の唄全国大会」が久住サンホールで開かれます。私はほぼ毎年大会に参加し今年が10回目くらいです。今まですべて予選落ちです。今年も予選落ちの予感がします。
私にとっては参加することに意義がある大会です。(久住山の仙人) 

07/11

Fri

2014

会ってみたい歴史上の人物

〇織田信長:

 信長はいつも「人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしの如くなり、・・・・・」と幸若舞『敦盛』を唄い舞ったという。身辺に常に「無常観」を漂わせていたに違いない。
また、信長は日本史上稀なる殺人鬼。彼が考え出したという竹鋸で通行人に首を挽かせるという処刑方法や釜ゆで、蒸し焼き、串刺し、磔、蓑踊り(蓑を着せ火をつけ焼き殺す)などの残虐な方法で多くの人を、さらに戦でも数万人ともいわれる人々を老若男女、身分職業に関係なく惨殺したという。
「怖いもの見たさ」で遠くからこっそりと信長を見てみたい。

〇豊臣秀吉

 「一を聞いて十を知る」、この言葉の典型のように頭脳明晰な人物だったというのが豊臣秀吉である。また「人たらし」といわれるほど魅力にあふれた人でもあったらしい。さらに、秀吉は、この時代、幼少の頃から学問を叩き込まれて育った教養人揃いの戦国大名(細川、伊達、武田、明智等々)に伍しても引けを取らぬほどの知識を持った人だったという。幼い頃貧しくて、教育を受けられなかった秀吉は成人後、秘かに激務の間をぬって猛烈に勉学に励んだ努力の人でもあったようだ。世界史的にみて、英雄と呼ばれるに資する人物は日本では秀吉、ただ一人である。
 直に接して、その溢れる才能に触れてみたい。


〇西郷隆盛

 隆盛は「仁の人」と言われる。「三日の間、隆盛と接すれば一生離れなれなくなる」と言われ、カリスマ性をも備えた人格者だったそうだ。また日本で最初の陸軍大将という経歴から、「武の人」と思われがちだが、薩摩の藩校時代は藩校きっての俊才で「文の人」でもある。
文武両道の人格者。
 崇高なその人柄に触れてみたい。

〇宮沢賢治

 賢治は「八面体の人」と称されることがある。あらゆる方面に通じて、その才能を発揮したからだ。自然科学、人文科学、音楽、美術、宗教学、そして登山(岩手山)と温泉も好き。また生涯不犯の人としても知られている。さらに一日に玄米4合をトマトをオカズにして食し、生き物が可哀そうという理由で肉は口にしなかったという。森羅万象、全てに優しい。
 直接お会いして、優しさとあらゆることを教えてもらいたい。
                 
                                (久住山の仙人)

07/10

Thu

2014

もう一度聞いてみたい音(声)

台風がこちらに向かって来ているらしいのですが、空は明るい曇り空で雨もなく、風もまったくありません。台風の気配はゼロです。
 家の外の向かいの林の中からは「ケッ、ケッ、ケッ、・・・・」とヨタカの鳴く声がもう30分以上も続いています。こんなに鳴いていては、天敵のキツネ、イタチ、テン、カラスなどを呼び寄せるだろうにと、心配になります。
 還暦を過ぎた今、もう一度聴いてみたいという音があります。それは、私の生家から20キロほど離れた所にある豊肥線を通る蒸気機関車(D51)が鳴らす汽笛の音です。我が生家は、今は傍を国道442号が通り、その為周辺の空気が乾燥し霧が出ることはありません。しかし昔は、我が家の近くで気流が止められ、そのため家の周りには頻繁に濃霧が発生していました。今日のように曇り空で湿度の高い日には、20キロほど離れた大分県と熊本県の県境にある荻駅、波野駅辺りから「ぼーぼー、ぼーぼー」という低く長い汽笛の音が聞こえてきました。その音はとても物悲しく、まるで地獄の底から聞こえてくるようでした。小さな子供の頃それを聞くと、とても悲しく不安になりました。今は蒸気機関車もなくなり家の周辺の気象も変わってしまいましたので、汽笛の音を聴くことはできません。還暦を過ぎた今、子供の頃に返り、幼い頃に聴いたあの物悲しい汽笛の音を無性に聴きたくなることがあります。(久住山の仙人)

プロフィール

HN:
久住山の仙人
性別:
非公開
趣味:
三味線、尺八、登山
自己紹介:
長湯温泉でノンビリ暮しています。登山、尺八・三味線、農林業など、いろいろ趣味を楽しんでいます。神社の神主もしています。

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