今から55年ほど前、私が小学生の頃不思議に思うことがあった。今日のような大雨の後、庭に出ると江戸時代の古銭(主に寛永通寶)が地面に落ちていたのだ。家の周りの畑や家に通じる道でも時々見つかることがあった。どこかに銭の入った壺でも埋められているのかなと思ったが、落ちている場所が広範囲なのでそれも考え難い。
数年前に、以前学校の先生をされていて郷土の歴史に詳しい方にそのことを話してみた。先生は「君、そんなことを知らないの?」という顔で応えてくれた。「君の家は江戸時代、岡藩の殿様中川公の宿泊所になっていた。竹田市内の岡城を朝、駕籠で出ると夕方に君の家に着く。君の家の100メートル先は隣国の細川藩の領地。君の家の敷地は昔は今の3-4倍あって地形的にも敵が攻めにくく出城の役をしていた。岡藩は大分県一の借金の多い藩で、その借金のほとんどは当時天領だった日田の両替商から借りていた。殿様は借金のために日田に行くことが多く、竹田と日田とを結ぶ道を日田往還といい、君の家はその道の傍にある。殿様が宿泊した時に、君の家にはお供の武士や近在の農民や商人が出入りし、その際の商いの最中に落とした銭が土に埋もれ、今になって雨で洗われ土の表面に出てくるのだ」。
先生のお話で長い間の謎が解けた。この古銭の他にも、個人の家にしては大きな庭園、石で造くられた豪華な風呂、膨大な量の昔の食器、数多くの刀のツバ、家の柱につけられた斧やナタ、刀傷(?)等々、私が長年不思議に思っていた生家の謎が一度に解けた。
尚、私が拾った古銭は数十枚にもなったが、友達にやったり失くしたりで今手元には数枚しか残っていない。数多くあった刀のツバもしかり。今思えば惜しいことをしたものだ。
(久住山の仙人)
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