南(竹田市久住町)側から見る久住山の山容は秀麗で
昔から多くの画人達に描かれてきた。
しかし、故「白壁康」氏ほど多く久住山を描いた画家はいないであろう。
氏は昭和21年ころ、久住山に魅せられて熊本県から久住町に移り住んだ。
当時、絵筆一本で生活することは大変なことだったに違いない。
しかも、久住町のような田舎町で。
私は昭和35-36年頃、久住小学校4-5年生の時に先生に師事した。
当時の先生はガリガリに痩せて、いつも鼠色のズボンと
これもヨレヨレの白い長袖のワイシャツを着ていた。
そして毎日毎日、キャンバスに向かっていた。
描く画題は、当時は久住山とエノハのみ。
一年365日のうち、300日は久住山を描き
残り65日をエノハを描くのに費やしていたように思う。
キャンバスに向かって絵筆を握る先生の姿は鬼気迫るものがあった。
写真は白壁康画伯の久住山。

(久住山の仙人)
PR