竹田市にある岡城は滝廉太郎作曲「荒城の月」のモデルとして有名である。
また「日本三大険城」の一つとしても名高い。
何しろ、あの勇猛な薩摩嶋津軍の大軍をもってしても落城させることができなかったのだから。
この岡城を正確に現した木版画(?)の存在はよく知られている。
60センチ×50センチほどの大きな画で非常に精巧にできている。
作者は判らないが、旧岡藩が明治初期に横浜の印刷会社に依頼して何百枚か作成し
領内の100軒ほどの家に買わせたのではないか。
現残する数は少ないが、竹田市立美術館に展示されているし、拙宅にも2枚ある。
岡藩は岡城図の他にも、歴代の岡藩主達の肖像画のエッチング(銅版画)も作成し
領内に何枚か配布している。
これも竹田市立美術館に展示されているし拙宅にもある。
何故、横浜の印刷会社かというと、エッチングの技術は幕末に欧米から持ち込まれた
最新技術で、横浜の外資系会社でないとエッチング製品は作製できなかったからだ。
因みに、明治政府の逓信省は、郵便切手の作成をこの外資系会社に依頼している。
今回、私が横浜の古道具屋から入手した「岡城図」は、木版画である竹田美術館展示の
作品と違い、はるかに精緻に作られたエッチング作品である。
彩色が施されており各建物の説明も付けられている。
用いられている紙も古い。
しかも入手した場所がエッチング発祥の地、横浜。
これこそ紛れもなく岡城の原画と思われる。
岡藩藩主の中川家の菩提寺である「碧雲寺」に、木版画の元画があるとされているが
今回、私が入手したこの「銅版画」こそが、全ての岡城の画の元画であると確信する。

(久住山の仙人)
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